vol.1

2_パン屋さんをオープンしてからの日々 – Rapport du pain(ラポール デュ パン)

2023.01.06.

鹿島さん家族は、2006 年に前身の「ベイビーブレッド」を輪島の市街地でオープンします。
その後、10 年の節目で海沿いにパン屋を移転し、「ラポール デュ パン」として再出発を切りました。
それまで輪島になかった本場フランスの文化を追求したハード系パンの店として徐々にファンを獲得していきます。現在、店主でパン職人の芳朗さんを中心に、家族で店を切り盛りしています。

輪島マリンタウンにあるラポール デュ パンの店
およね
前身の「ベイビーブレッド」がオープンしたのはいつ?
美江
2006年の12月やね。
芳朗さんは、元々家族でパン屋を開業したいっていう想いがあったから
お義父さん、お義母さんも一緒に、家族で始めたね。
およね
でもお義父さん、お義母さんはその時(それぞれの場所で)働いてたよね?
美江
そうそう。だから2人とも仕事辞めて。
およね
安定した収入があったのに、
仕事を辞めて、子供のやりたいことに懸けたのはすごいね。
およね
最初の方は、オープンしてすぐに能登半島地震(2007年3月)もあったし大変だったよね。
美江
隣が避難所だったから、しばらくはパンを焼いて届けたりね。
およね
それは避難所の人たちはうれしかっただろうね。
鹿島家の皆さん。左から美江さん、芳朗さん、義母の早苗さん、義父の秀峰さん
およね
オープン当初、パンの売れ行きはどうだった?
美江
今に比べたら廃棄するパンは多かったなと思う。
市外とか県外のお客さんがまだ多くなかったから。
およね
それがちょっとずつ県外の方も増えてきて・・て感じ?
それって何年ぐらい経ってから?
美江
今の店(ラポール デュ パン)になってからかな。
当時は自分も出産3回繰り返してたから、店に携わってない時とかもあったりとかして。
だから前の店のことは断片的にしか覚えてない(笑)
およね
どちらかといえば子育て中心の生活だった?
美江
そうそう。手が足りない時に数時間だけ店に出たり、そんな感じやったね。

—— その頃からお二人は交流があったんですか?

およね
あったね。
子ども同士の歳が近いこともあって、家族ぐるみで一緒にどこか行ったりとか。
私はその頃、友達いなくて(笑)
一人でさみしかったけど、美江ちゃんは話しやすくてすぐに仲良くなれた感じ。
美江
私も輪島で友だちが出来てうれしかったな。

谷川千穂
(愛称:およね)

金沢から輪島に嫁いだ谷川醸造4代目の嫁。広報の仕事がメイン。

鹿島美江

大阪の勤め先で芳朗さん(夫)と出会い輪島へ。家族でパン屋を開業する。ラポール デュ パンでは主に販売を担当。

writer&進行:堂下真紀子 photographer:松田咲香


店舗詳細

Rapport du pain(ラポール デュ パン)

石川県輪島市マリンタウン4-54
☎︎0768-23-4405
[営]9:00~18:00
[定]日曜・月曜

https://rapport-du-pain.com

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